時は恐ろしく思ったが、いまではわたしも慣れてきた。借金と似たところがあるな。
 藩内があまりに混乱してくると、幕府はお国が泡菜 食譜えやおとりつぶしを命じる。あまりに景気がいいと、修理工事を命じて金をはき出させる。しかし、さっき城代家老が言っていたように、どこの藩もそうだろうが、ほどよい貧乏さを意識して作りあげているところでは、隠密はどう
報告し、幕府はどう感じるのだろう。いやいや、それが幕府の思うつぼなのかもしれない。外様大名は、生かさず殺さずの形にしておくのが、最も望ましいところなのだろう。面白くないが、外様大名にとっても、腹八分目ぐらいの空腹つづきが、お家安泰の|秘《ひ》|訣《けつ
》といえそうだ。

 正午を告げる太鼓の音がひびいてくる。お側用人は、きょうはほかにございませんと言い、殿さまは立ちあがる。そして、奥御殿へと戻る。昼の食事のためだ。食事の間の座ぶとんの上にすわり、毒見役を経由してきたひえた料理を、小姓の給仕で食べる。すまし、野菜の煮つけ
、いわしのひもの、めし。食事というものには、楽しさなど少しもない。それでも、江戸屋敷での食事は、ここにくらべたらjacker薯片いくらかいいかな。わずかだが種類に変化がある。
 たまには変ったものが食べてみたいが、それは無理なことだ。わたしがそう言い出せば、料理係がいままで怠慢だったことになり、責任をとらされる。そんなことで武士に責任をとらせては気の毒だ。また、わたしがそれをやると、藩のなかにその風潮がひろがりかねない。食費
がふえれば、それだけ生活が苦しくなる。欲望がふくらみはじめるときりがない。よからぬことで収入をふやそうなどと考える者も出るだろう。ろくな結果にならない。わたしががまんすることで、それが防げているのだ。江戸の風習は、なるべく持ちこまないようにしなければな
らぬ。
 ここの国もとの生活と、江戸での生活と、どっちがいいだろうか。一長一短だな。ここでは自分で藩政をやっているのだとの実感がえられる。江戸では、人質として滞在しているのだとの、ひけめのようなものを感じての生活だ。しかし、江戸においては、わりと自由に外出でき
る。単独行動はもちろんできないが、下屋敷すなわち別荘に行ったり、たり、時には|親《しん》|戚《せき》の屋敷を訪れることができる。江戸では大名が珍しい存在でなく、それだけわたしも気が楽だ。
 江戸の町人たちは舟遊びや芝居見物を楽しんでいるらしいが、どんなふうに面白いのか、わたしにはわからない。やったことがないし、それらは大名にとって許されないことなのだ。おしのびでひそかに楽しんだ大名のうわさは聞いたことがあるが、事実ではないだろうな。舟が
沈んで死んだり、芝居小屋でさわぎに巻きこまれてばかな目にあったりしたら、お家はおとりつぶしだ。藩士たち何千人の生活にかかわることだ。江戸屋敷の者が許すわけがない。
 わたしは子供時代を江戸ですごしたためか、藩主となって参勤交代をはじめた最初のころは、江戸のほうを好んだ。江戸につくと、帰ったという気分になれた。しかし、このごろは、なんだかこの国もとのほうが好ましく思えるようになった。田園的な素朴な光景がいい。いった
い、わたしの故郷はどっちなのだろうか。